龍野市で有名の、三木露風さんのことが知りたかったからです。
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小学生の時、三木露
風は、夏姫を出版し
ました。その時寂しさ
をまぎらわすために、
書いたのかもしれま
せん。しかし、赤とん
ぼと、遊んでいるとき
は、寂しさを忘れるこ
とができたのでした。
三木露風の名声は、中
央でも急速にたかまって
いき、北原白秋と並んで
「白露時代」と呼ばれる
ほどにもなりました。 そ
して、1921年(大正10
年)には、有名な赤とん
ぼの詩が発表されまし
た。1958年(昭和33
年)には、第1号の龍野
名誉市民となりました。
三木露風は、1889年6月
23日に今の龍野町上霞城
の101番地生まれました。
三木露風の本名は、三木操
でした。三木露風は、両親
が離婚してしまったので、祖
母父と父とで育てられてき
ました。三木露風は、母が
いないのでさびしかったそう
です。そのさびしさになぐさ
めてくれたのは、周囲の
山々だったそうです。
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赤とんぼの一部、「十五
で祖やはよめに行きお里
のたよりもはたえはてた」
はお世話になった祖や
が歌われたものです。
こうして、三木露風は、小
学生から大人までずっと
詩を書き続けてきて、たく
さんの有名な詩を書いて
いましたが、悲しく75才の
時、タクシーにはねられて
亡くなってしまいました。
今は、龍野公園の入り口
の三差路の所に「赤とん
ぼ」の碑や碑の横に赤とん
ぼの歌詞がかいてある岩
があります。そして、聚遠
亭の他のところに「ふるさ
と」の碑があります。 
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